東京都北区で110余年続く、老舗畳店の四代目社長。
高校・夜間専門学校とインテリアを専攻し、卒業後には培った室内装飾の基礎を活かし、18歳で家業である有限会社八巻畳工業へ入社。
19歳で先代より親方業を受け継ぎ、年配の職人さんにより、厳しい指導を受けながら技術の躍進に勤め続ける。
しかし世間の「洋風化の波」には勝てず、和室が一つ、また一つと減っていくのを目の当たりにする。
このままでは食べて行くことが出来ないと一念発起し、当時町場の畳店がやっていなかった新素材やカラー豊富な置き畳などを提案し革新的な店へと成長する。
そんな中、大手の畳屋が大量生産した安価な置き畳ブームに、機械化した畳製作に基礎である手縫い技術の出番が無いことに疑問を抱く。
お客様の肌に直接触れる畳。
少しでも手を掛けて安全で長く使える物を作りたい。
さらなる技術向上を目指し畳訓練校に入校。
卒業後、3年間の修行を共にした仲間を雇い入れ、全国でも珍しい20代だけの畳店に。
どんなに難しい現場でも断らない!を理念に、あらゆる仕事を全て請ける。
同時に若さだけではなく、技術と知識を裏付けるため、手縫い畳製作技術の最高峰である国家資格一級畳製作技能士を取得。
続けて東京都認可の職業訓練指導員免許も取得。
代表的な施工として「名古屋万博 愛地球博 アースドリーミングシアター」や、噴火後全島避難となった三宅島に100畳以上の畳を船で運ぶ。
父から正式に会社の代表を譲り受け四代目を襲名。
社長就任後、洋風化にコストカットで対抗するため流通の8割を占めるようになった中国産畳表に疑問を感じ、国産畳専門店を目指すため熊本のイ草農家に師事。
1年間に5回通い、特別太く丈夫な畳表を優先的に産直できるようになる。
また、安定して仕入れるため年に2回、刈り取りと植え付けの準備を手伝いに行き、土作りから携わる。
近年の畳離れは家に畳が無い子供の頃からの教育に問題があると考え、床育を強く推し進め、地元幼稚園や小学校に畳を寄贈。
また、地域貢献として地元で防火部・青少年部に所属。
子供達の安全と地域の防災のため、ボランティア活動でも汗を流し続けている。
主な受賞歴
第一回モダン乱敷きアワード 最優秀賞受賞
第一回畳1グランプリ 敢闘賞
趣味は水生生物の飼育と屋上菜園。
息子が将来、五代目として畳店を継いでくれる事を目標に日々躍進中。