創業は明治40年代。実は詳しく分かっていません。
初代になる曾祖父、八巻喜久蔵が山梨県から上京したのが始まりだそうです。
その当時の新聞記事が発見され内容を見ると、曾祖父が飼っていた犬が軍用車両に轢き殺されたとい記事でした。
ですから間違いなく100年以上の歴史はあるのですが、正確にはもっと調べてみないと分からないと言うのが実情です。

 

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三代目の父が若い頃の写真、女性は祖母

 

初代である曾祖父は晩年、北区田端に新店舗を出したそうです。
現在の(有)ヤマキ畳敷物です。
二代目の祖父源太郎は現在のお店を引き継ぎ、弟子を抱え晩年は町会の事や政治方面に力を入れていたそうです。
父の話だと二代目の源太郎は父が24歳の時に亡くなり、父は若くしてベテラン職人達の親方をこなさなくてはならず、大変な苦労をしたそうです。
そのせいなのか私にも厳しく・・・、お陰様で鍛えられました。。

 

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後列左から2番目が二代目の源太郎、前列真ん中が3代目の父

 

上の写真は祖父と父兄弟にお弟子さん達です。
昔は丁稚奉公じゃありませんが住み込みで働いていたそうで、職人さん達は家族のような間柄だったと聞きました。
私が幼い頃は毎年元旦になるとお弟子さん達がうちに集まり、お年玉を貰うのが凄く楽しみでした。
今のように機械化されていないので、昔の職人さん達はほぼ手作業。
掌がグローブのように分厚かったのが印象的でした。

 

その後お弟子さん達は独立して行き、父は一番若かった親戚と二人でお店を有限会社に。
バブル期で仕事も順調に推移し、離れた作業場と母屋を一つにして今のお店を建てます。
最後のお弟子さんも独立し、しばらくは一人だった父も効率を考え大型の機械を導入し年配の職人さんを雇いました。

 

その後バブルが崩壊し畳の需要が一気に下がり始めた頃、高校を卒業した四代目の私が手伝い始めます。
正直に言うと畳屋だけは継ぎたくなく、18歳だった私は毎日嫌々仕事をする日々でした。
父とは最初の1年だけ一緒に仕事をし、その後は年配の職人さんから教わる日々を過ごします。

 

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畳訓練校で資格を取得

 

最初は「浪人するなら畳屋を手伝え!」と言われて始めた畳屋も、翌年夜間の専門学校に行くと「夜学校行くなら畳屋を手伝え!」と言われ。
卒業後に池袋で一人暮らしをし、昼は畳屋で夜はバイト生活。
今度は父が勝手に「畳屋の学校に申込みしておいたから!」と・・・。
なぜか継ぐ気が無いのに畳の職業訓練校に3年間通う羽目に。

しかしここで手縫いの技術を仲間と学ぶうちに、畳の面白さを真剣に知る事となりました。
卒業後に2級の試験を合格し、国家資格の1級畳製作技能士免許と職業指導員免許も取得。

 

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工場長こと寺内君現る!

 

職人さんの年齢が70に届こうかという時、畳訓練校の同期が卒業後ブラブラしていた。
彼の場合、父親が畳屋ではなかったのでこの先の事を考え一緒に働かないかと誘いました。
工場長と二人でやり始めてから早10年以上。
同じ歳で同じ職人歴。
性格が真逆なのが返って上手く行ってるのかもしれません。

 

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パートさんも加えて毎月作戦会議

 

現在では事務員にパートさんを加え、忙しい時は妻にも手伝ってもらっています。
昭和52年生まれのメンバーで経営をしてる珍しい畳店です。
五代目の息子が「畳屋になりたい!」と思えるような業界にして行きたいと今後益々頑張りますので、どうぞご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。
東京北区で四代100余年 (有)八巻畳工業
トップページ https://yamaki-tatami.com/

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