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JR東海の『そうだ京都、行こう。』という春バージョンのCMで寺院の畳から花が咲き誇る映像をご存じでしょうか?
【WEB動画】2022年 春 「花咲く京都」篇 そうだ 京都、行こう。 – YouTube
JR東海そうだ京都、行こう。CM
春の特別拝観【花咲く京都】では4つのお寺にて越智康貴さんが監修した『花の間』を開放し、春を感じる演出をご覧いただくことができます。
今回その花が咲き乱れる畳を当店で施工させていただきました。
期間中どなたでも拝観できますので是非、京都へ行って今しか見ることの出来ない景色をお楽しみください。
※拝観料はお客様ご自身でのご負担となります
真言宗大本山 隨心院
当山は、真言宗善通寺派の大本山であり、弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海僧正の開基にして、一条天皇の正暦二年(西暦991年)奏請して、この地を賜り一寺を建立されました。古くは牛皮山曼荼羅寺と称されました。仁海僧正一夜の夢に、亡き母が牛に生まれ変わっていることを見て、その牛を鳥羽のあたりに尋ね求めて、飼養しましたが、日なくして死に、悲しんでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を画き本尊にしたことに因んでいます。
牛尾山は仁海僧正が牛の尾を山上に埋めて、菩堤を弔ったと伝えられています。
又、仁海僧正は深く宮中の御帰依を受け、勅命により、神泉苑(京都御池大宮西)に請雨の法を9回おこない、その度に霊験があって雨が降ったので、雨僧正とも称されました。
その後、第五世、増俊阿闍梨の時に、曼荼羅寺の子房として、隨心院を建立し、ついで第七世、親厳大僧正が、寛喜元年(西暦1229年)後堀河天皇より、門跡の宣旨を賜り、以来隨心院門跡と称されています。堂舎も次第に整備され、七堂伽藍は壮美を誇っていましたが、承久應仁の兵乱にあってことごとく灰となってしまいました。
その後、慶長四年(西暦1599年)に本堂が再建され、以後九条二条両摂家より門跡が入山し、両摂家の由緒をもって寄進再建されました。
ホームページより
段差の調整をしました
能の間で花の間を眺めることのできる期間
2022年4/22(金)〜5/22(日)
拝観できる時間
午前9時〜午後5時(受付終了は午後4時半)
※志納 大人500円
住所と連絡先
〒607-8257 京都市山科区小野御霊町 35
TEL: 075-571-0025
他の寺院と期間
- 妙満寺:5/13(金)〜6/5(日)
花の間公開終了寺院
泉涌寺 雲龍院4/25まで
隨心院の畳仕様
能の間は既存の畳に花を活ける訳にはいきませんので、東京から京都へ通って採寸し、東京へ戻り畳の製作をしました。
既存の畳や間付きの和室は天然藺草の畳表が張ってありましたが、広間の四隅と端の中央8畳だけバランスを取って変わった仕様で依頼されましたので、SEKISUI MIGUSAの『ピーチ』を畳表に使用しています。
ピーチは白とピンクのストライプ柄で構成されており、遠目で見ると薄いピンク色に見えて可愛い畳です。
こちらの畳は高麗紋縁の白中紋が付いています。
紋縁というのは大柄の丸模様が特徴で、この部屋のように畳の向きが異なる敷き方の場合は畳同士が合わさる場所で、その〇紋が綺麗に並ぶように製作することが重要です。
これは言うほど簡単な作業ではなく、地元東京の寺院であれば『紋合わせ』という畳の寸法を割り出した後に紋縁を実際に並べて両端に〇紋が綺麗に出るように配置したり、直角に合わさる隣り合った畳の紋と合うように現場作業をすることもあります。
しかし今回は柱の出っ張り部分が大きく切り欠かなければならず、縁の紋を上手く出すのに大変苦労しました。
この辺は花で隠れて丁度良かったのかなと思っております☆
妙満寺につきましては公開後に投稿させていただきます。
東京都北区で四代110余年
有限会社八巻畳工業
03-3917-9827