当店の初代が東京都北区滝野川で畳店を開業したのが明治42年で116年前ですから、それより以前に畳職人が製作した藁製(わらせい)畳床の解体・研究作業をする研修会に参加してきました。

昔作られた手床(てどこ)と呼ばれる手縫いの畳床と現在の畳床の違い

現在では藁製の畳床(たたみどこ)と呼ばれる畳の本体部分は、住環境の変化によってダニの問題もあり、新規で作られる事は10%未満と体感しております。(明らかにもっと少ないが期待を込めて)

畳店が作るのではなく、専門の床屋(とこや)と呼ばれる製畳業者が製造販売しています。

現在の作製方法は、40センチほどに積んだ藁を大型の機械でプレスしながらビニール系の糸で縫い、5~5.5センチの厚みにしています。

藁は縦横と交互に配して積んでいき『切り藁』と呼ばれる、細かい藁でムラの調整をし、高級品ほど藁の量は多くなり、それを縫う目幅の間隔も短いピッチになります。

私が畳屋になったばかりの頃は、先代(親父)が重ければ重いほど高級だと信じて、新床(新調した畳)を納品していました。

今思うと1畳で30キロ以上ある畳を近隣の住宅に納品していたので、その張り替えなどで私の代は大変苦労をしています。

畳が重い理由は高級品だからではなく、作製が容易なように切り藁をたくさん入れているためでした。

これを畳屋目線で悪意を込めて「ゴミ下地」と呼んでいますが、畳自体は丈夫で相当長い年数使用できるメリットもあります。

機械製の藁床

高度成長期以前に作られた藁床は主に手縫いで、糸もビニール系ではなく麻糸などが主流でした。

菰(こも)と呼ばれる藁を編んで『すだれ』状にしたものを最下層に配し、その上には藁を縦横交互に積み重ね、間に菰を更に入れたり、切り藁を入れて均一な厚みになるよう調整されていました。

また当時は【筋縫い】や【掛け縫い】と呼ばれる技法の手縫いで、掛け縫いの方が細かい目幅で全体を縫っているため、手間と労力が掛かる分高級品でした。

筋縫いの畳

掛け縫いの畳

手縫い製の藁床は誰でも作れる訳ではなく、当時は畳店の職人が自作していました。

1畳の畳床を作るのに数日掛かるでしょうから、弟子が大勢いた頃の話で、分業しながら製作していたと推測されます。

また手縫い床の難しさは藁の均一性にあります。

平均に積んだつもりでも縫い始めると厚みの調整は難しく、熟練の技が無いと平らな畳床は完成しません。

更に大変なのは、一度縫った糸を全ての箇所で引っ張り上げて、更に締め直す作業です。

最初に縫った糸は仮縫いのような感じで、全て縫い終わってから畳の表面に出た糸をフック状の『床締鍵(とこしめかぎ)』で引っ張り、踵で藁を強く蹴るように踏み糸を締め直します。

腰が辛いだけではなく夏場は暑くて当時でも大変な重労働だったことでしょう。

2種類の手床を解体して分かった違いと質

今回解体した手床は2種類あり、古い方の畳は別の班が解体し、もう片方を我々の班が解体しました。

私の班が解体した手床は主に【菰】だけを芯材に使用し、1層だけ長めの切り藁が入っている使用です。

もう一方の古い手床にも菰はありましたが、ほとんどが長い藁を縦横1層ずつ積んだ配をしており、こちらの方が製作に熟練の技術がいり難しいそうです。

因みに両方とも筋縫いで菰はイ草のようなもので編まれ、床自体は麻糸で縫われていると推測できました。

何にしろ100年分のホコリが凄かったです・・・。

およそ120年前の手床裏面

角を出すために板が入っている

菰はイ草のようなもので編んである

菰の藁も縦横の層に積んであった

一番厚みのある胴菰(どうごも)を丸めた

切り藁で下地を作ってある

当時のタバコのフィルターが出てきた(山櫻)